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つい最近、トロッコの保津峡まで行きました。ホームが広げられて行き違いは出来なくなっていましたが、この懐かしい感じが少し残っていました。この頃に行ってみたかったです。
私も最近の写真は見たことがあります。長編成の客車が行く光景を見てみたかったものです。
懐かしい~😆✨DD51が牽引する50系レッドトレインと12系の入れ違いなんて涙ものですよ⤴️
今ならば大変なことになりそうですね。このころ客車列車は普通だったのでしょうが・・・
元々は普通客車列車の体質改善を兼ねた近代化を目的に一部の普通客車列車を50系(福フチのほか現在の近キトにも配置)へ置き換えましたが、一連の旧型客車の一掃は1986年11月改正までかかりました(その後オール気動車化までの「つなぎ」として福知山線全線電化で余剰となった12系を一時的に一部列車に導入)。
素晴らしい映像ですね!春夏秋冬、保津峡にはよく遊びに行きました。あの頃を思い出させてもらえる映像で感動してます。この頃の鉄道は良い意味で無駄が多く楽しかったですね。
素晴らしい動画ですね!同じころ撮影していましたが、撮り方が素晴らしく感動的です。
あさしお号は保津峡通過時に車掌さんからのアナウンスが入りましたね。このあたりに来ると市内とは雰囲気が一気に変わり帰省してるんだなと感じながら乗車してました。
あの頃は京都~福知山間90.1kmをおよそ2時間30分~3時間かけて気動車が行き来していた。
開通前の保津峡の新線に試験列車でしよか?走ってましたが隣の馬堀駅でレールの締結式でもあったのでしよか?
未だ山陰本線が旧線の頃、二条駅から綾部迄乗車したり、京都から園部迄旧形客車で行ったり保津峡迄キハ47で行ったりしました。今は危険だからやってたら絶対車掌や駅員から注意される旧形客車のデッキのステップに立って乗車しました。今は旧形客車も急行白兎も廃止されてしまい残念です。昔は京都や大阪から普通に乗り換え無しで出雲市や浜田迄行けたし長距離ドン行も全国で普通に走っていた。今はそういう長距離ドン行や長距離ドン行の夜行も無くなり旅行自体し辛くなって残念です。此も分割民営化の罪の部分だし、車両の広域転配も無くなり残念です。
福知山にもキハ58系列のスカート付き後期型がいたことを知ったのは意外と遅く、1985年頃になって初めて知りました(但しキハ28形3000番台がいたことだけは例外的に1981年初夏頃に初めて知りましたが、それもスカート付きの後期型だったことを知ったのは意外と遅く、JRになろうとする直前でのことでした)。それまでは天ワカにいた急行「きのくに」用のものしか知りませんでした。
その天ワカの車がきのくに廃止後に福知山にやってきたそうです
@@園田成司-s4d 元々は福フチにいた初期型を置き換える目的で天ワカから後期型を持ってきたことは仰る通りですが、必ずしもそれだけとは限りません。シリアルナンバーで記憶があるのは、その1985年3月に「きのくに」廃止で天ワカを追われたキハ28 2322と2327の2両が金ツル(現在のJR西日本金沢支社敦賀地域鉄道部運転センター車両管理室のことです)へ転出したことに始まり、1986年3月に天カメにいたキハ28 2317が飛び入りで同じく金ツルへ転出(この弾みで金ナナ↔金ツルとの間でキハ28 2166と2322の交換トレードを実施)したことなどが挙げられます。
いろいろ詳しいですね 恐れいりました また面白い情報ありがとうございます
12:47 あすかではありませんか!
そうです。あすかも懐かしいですね。
つい最近、トロッコの保津峡まで行きました。ホームが広げられて行き違いは出来なくなっていましたが、この懐かしい感じが少し残っていました。この頃に行ってみたかったです。
私も最近の写真は見たことがあります。
長編成の客車が行く光景を見てみたかったものです。
懐かしい~😆✨DD51が牽引する50系レッドトレインと12系の入れ違いなんて涙ものですよ⤴️
今ならば大変なことになりそうですね。このころ客車列車は普通だったのでしょうが・・・
元々は普通客車列車の体質改善を兼ねた近代化を目的に一部の普通客車列車を50系(福フチのほか現在の近キトにも配置)へ置き換えましたが、一連の旧型客車の一掃は1986年11月改正までかかりました(その後オール気動車化までの「つなぎ」として福知山線全線電化で余剰となった12系を一時的に一部列車に導入)。
素晴らしい映像ですね!
春夏秋冬、保津峡にはよく遊びに行きました。
あの頃を思い出させてもらえる映像で感動してます。
この頃の鉄道は良い意味で無駄が多く楽しかったですね。
素晴らしい動画ですね!
同じころ撮影していましたが、撮り方が素晴らしく感動的です。
あさしお号は保津峡通過時に車掌さんからのアナウンスが入りましたね。このあたりに来ると市内とは雰囲気が一気に変わり帰省してるんだなと感じながら乗車してました。
あの頃は京都~福知山間90.1kmをおよそ2時間30分~3時間かけて気動車が行き来していた。
開通前の保津峡の新線に試験列車でしよか?走ってましたが隣の馬堀駅でレールの締結式でもあったのでしよか?
未だ山陰本線が旧線の頃、二条駅から綾部迄乗車したり、京都から園部迄旧形客車で行ったり保津峡迄キハ47で行ったりしました。今は危険だからやってたら絶対車掌や駅員から注意される旧形客車のデッキのステップに立って乗車しました。今は旧形客車も急行白兎も廃止されてしまい残念です。昔は京都や大阪から普通に乗り換え無しで出雲市や浜田迄行けたし長距離ドン行も全国で普通に走っていた。今はそういう長距離ドン行や長距離ドン行の夜行も無くなり旅行自体し辛くなって残念です。此も分割民営化の罪の部分だし、車両の広域転配も無くなり残念です。
福知山にもキハ58系列のスカート付き後期型がいたことを知ったのは意外と遅く、1985年頃になって初めて知りました(但しキハ28形3000番台がいたことだけは例外的に1981年初夏頃に初めて知りましたが、それもスカート付きの後期型だったことを知ったのは意外と遅く、JRになろうとする直前でのことでした)。それまでは天ワカにいた急行「きのくに」用のものしか知りませんでした。
その天ワカの車がきのくに廃止後に福知山にやってきたそうです
@@園田成司-s4d
元々は福フチにいた初期型を置き換える目的で天ワカから後期型を持ってきたことは仰る通りですが、必ずしもそれだけとは限りません。
シリアルナンバーで記憶があるのは、その1985年3月に「きのくに」廃止で天ワカを追われたキハ28 2322と2327の2両が金ツル(現在のJR西日本金沢支社敦賀地域鉄道部運転センター車両管理室のことです)へ転出したことに始まり、1986年3月に天カメにいたキハ28 2317が飛び入りで同じく金ツルへ転出(この弾みで金ナナ↔金ツルとの間でキハ28 2166と2322の交換トレードを実施)したことなどが挙げられます。
いろいろ詳しいですね 恐れいりました また面白い情報ありがとうございます
12:47 あすかではありませんか!
そうです。あすかも懐かしいですね。